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NODA・MAP番外公演「表にでろいっ!」

どうしてもチケットが取れなくて「もうあきらめようかな」と思いつつ、大好きな野田秀樹さんと中村勘三郎さんの舞台と言うことで、初めて当日券で観劇しました。無事観られて本当によかった。

今度は歌舞伎じゃない 中村勘三郎×野田秀樹 同じ板に乗る!(しかも夫婦役…)

信じるとは何なのか?これは一夜にして崩壊する家族の物語。

人間のレゾンデードル(=存在理由)を思索する哲学という学問が廃れてしまった。
けれども、人間は何かしら生きる意味を見いだせないと、生き難い。
その空白を埋めるために、自らの趣味嗜好に過剰な価値を置く。
「はまる」という現象。何かにはまってないと生きてる気がしない。

換言すれば、偏愛。しかも、その歪みにも気付かない。疑うことすらない。
これはすでに信仰に近い、ただの趣味嗜好なのに。
アミューズメントパークを偏愛する父、アイドル系を偏愛する母、ファーストフードを偏愛する娘。
そんな3つの偏愛が混在する、鎖でつなぎ合わないと成立しなほど、バラバラな家庭の物語である。

あっという間の2時間ちょい。笑って泣いて笑って、でも最後には「いまのままでいいの?」と問いかけたくなるようなそんな作品でした。畳みかけるようなセリフ回しとてんやんわの演技は観客を圧倒します。まずは登場シーンからすごかった。

ある家族の夕食後の風景、父(中村勘三郎)と母(野田秀樹)が階段からもみ合うようにして転がり落ちてくる。娘(黒木華)はすでに出かけていた。

父はテーマパーク「東京ディステニーランド」のパレードに、母は人気アイドルグループ「ジャパニーズ」のコンサートに、娘はファーストフード「クドクナルド」のおまけの行列にと、それぞれ予定がある。ただ、臨月の飼い犬ピナ・バウシュがいて、もう子どもがいつ生まれてもおかしくない状況。この状況で家を留守にするわけにはいかない。

最初に予定があると言った・約束をしていた人が出かけられるという話から言った言わないの水掛け論が始まり、家族同士が足を引っ張り合う。また、父と母、母と娘、父と娘が結託し、ひとりを陥れようとするがにわか同盟のためうまくいかない。

そして、募ったイライラが行動を起こさせる。娘が鎖で父とピナ・バウシュを繋ぐ、父も負けじと母を鎖で繋ぎ、母はもちろん娘を鎖で繋いだ。

ストーリーが「ザ・キャラクター」と関連すると聞いていたので気にしていたら、娘が家元の書道教室に通っていて、今日の夜9時に世界が終わると信じている。あの「家元」だ。でも、もちろん世界が終わるわけがない。9時になっても何も変わらず、ただ、鎖に繋がれた愚かな家族が横たわるのみ。とてもじゃないけど、ある家族の風景とは言い難い光景で言葉を失った。

少しずつ少しずつ何かが壊れていき、最終的にすべてが粉々に壊れる、体も心も何もかも。何かを強く信じていたのに、それがぐらついたとき、一体何が起こるのだろう。絶対なんて世の中にはない。でも何かを信じたいからできるだけ絶対と思える何かを見つけたい。父の台詞「自分でしか自分を救えない」は、まさにこの舞台のテーマだった。台詞でテーマを言わせるとは珍しい。自分を救えるのは自分だけど、絶対的に自分を信じられるかと言われると不安。だから、何かに依存しようとする。それがアイドルであり、キャラクターであり、宗教。でも、それは決して絶対ではない。そのことに気づいたときに、どうなるのか、むしろそのことにいつか気づけるのだろうか。

それでいいのか? とこの舞台が問いかけているような気がした。

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