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彼方にその人を見つけたとき、見つけられなかったとき

2008年5月20日に書いたmixi日記をUPします。

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タイトル:超複雑 2008年05月20日18:25

インターネットでの探し物はもちろん、失くしたものを見つけるのも得意なmisakiです。

下手に検索能力があるので、見つけなくてもいいものも見つけがち。この力を認めてもらっていまの仕事に就いたんやけど、プライベートでは見えなくてもいいものだってたくさんあるんよなぁ。もちろんどうしても見つけたいのに、全然見つからないことだってある。

いま探しているのはある人の消息。ネット上で見つかったのは、小さく本人が写っている1枚の写真のみ。なんでそんな小さくでわかったかというと、私もその場におって、まったく同じ構図で写真を撮っていたから。それ以外の情報はまったく見つからん。いまどこにおるのか、何をしているのかもわからない。その代わりに全然関係ない知らなくてもいい情報が、どんどんどんどん蓄積されて、複雑な気持ち。若干ヘコみ中。

もうこれ以上ヘコむのはつらいから、少なくともインターネットで探すのはやめようかな。そもそも消息を知ったところでどうしようもないので、あきらめるべきなのかもしれないな。

探し物は得意やけど、基本的には知らぬが仏なので、知ってしまっても「私は知らない!」と言い聞かせて生きる毎日です。

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この日記に関連してお友達のキングがブログでエントリーを書いていた。

[nekodemo]彼方にその人を見つけたとき:nekodemo.com

その人のことを知りたいのだけど、知ってしまってもそれ以上どうしようもない気持ちは、どこへぶつけることもできない。

けれど最近思うのは、それでもその人のことを検索してしまったとき、もしかしたらその人を、影で応援することは出来るのかな、ということだ。

彼方にその人を見つけたとき、心の中で応援するだけで何もしない自分を、ただの自己満足と呼ぶのかもしれない。それでも、誰かを応援しながらほくそ笑んでしまうような生き方は、よっぽど幸せに満ち溢れているはずだ。

私は、いまも「ある人」を探し続けている。実は連絡先、勤務先、住所を知っているので、その気になれば連絡を取ることは可能だった。もちろん当時の情報なので変わっている可能性はあるけど、日記を書いた時点ですぐに連絡を取ればきっと確認することができたはず。それでも連絡を取らなかったのは「ある人」の消息を確認したところで、ただの自己満足になってしまうことを知っていたからだ。見つかっても、見つからなくてもきっとやるせない想いをすることを知っていたからだ。

電話やメールと違って、検索は相手に迷惑はかからないかもしれない。でも「ある人」を探し続けることが本人にまったく影響がないとは言い切れない。それを知っていてもなお、いまも「ある人」を探し続けている。ただ、結局「ある人」についての情報はまったく増えていない。
実在している人なのかちょっと不安になるぐらいw

いまは時期じゃないんだろうと思うようになった。きっと必然的にその時期が来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも、もし偶然に「ある人」に出逢うことができたら、きっと言葉なんて出ないんだろうけど「見つけてくれてありがとう」って伝えたい。

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